Automatic Meme Telling Machine

語ろう!感電するほどの喜びを

自分が読んだ日本SFを思い、そして『ハーモニー』を讃え

 今日の午前5:40分頃、『ハーモニー』を読み終わった。

 第二外国語で本を読むのは結構難儀なことだ。数十ページごとに休まないと頭が疲れて、いくら素晴らしい作品であってもくだらなくてたまらなくなる。だが『ハーモニー』を読む時、こんな問題が全く無かった。もちろん徹夜で本を読み続けるのが疲れるが、小説が齎した悦びに覆われて、やがて疲れも無視できるようになった。マラソン選手はランニング・ハイに覆われて、筋肉痛を無視したのように。

 『ハーモニー』を読む前に、ワイは日本SFを結構舐めた。日本SFにはオーソドックスな、ハードなSFがないと強く信じていた。

 子供の時最初に読んだ日本SFは小林泰三の作品、『人獣細工』やら『玩具修理者』やら、どっちでもど変態すぎて、耐えきれずに数ページだけ我慢して読んだ挙げ句、日本SFを長い間敬遠していた。その後『SF世界』におすすめした『太陽の簒奪者』や『異星の人』を読んでみたが、やはり気にいらなかった。『SF世界』紹介された他の日本SFの紹介文やあらすじを見ても、ファンタジーっぽいやつとラノベっぽいやつしかなさそうの感じでした。日本に来てからも、安部公房の短編集や『時をかける少女』や『横浜駅SF』も良作として認めるが、まだ物足りない気がする。

 伊藤計劃のような傑出な作家とずっと出会わなかったのせいで、ワイは日本SFは日常的な描写に強い(『博物館惑星』)、一つのアイデアから展開した短編が多い(星新一)、ラノベやネット小説に腐食された(『涼宮ハルヒ』、『横浜駅SF』)ものだと認識していた。日本のSF作家は長編なハードSFが書けないか、こんなジャンルの小説は日本売れないか、とワイは思っていた。

 だがそうではない、と『ハーモニー』は教えてくれた。ちゃんと設定した技術に基づいて出来た新しい社会と新しいイデオロギーないし新しい人類、そしてこんな背景にお起こった人類の運命と関わる壮大なスケールの物語は、日本の作家も書けるんだ。欧米やロシアや中国など他の地域の作家と同じように。