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【ネタバレ有】「三体」に隠された構図;宇宙文明の関係、物理の真実、そして現代性に対する批判と超越

注意:本文は「三体」に対するネタバレがあるが、「三体2」や「三体3」に対するネタバレがないので、「三体」だけ読んだ方はどうぞご覧ください。「三体」をまだ読了していない方はこの記事をマークしておいて、後日に読むことがおすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訳者の後書きにもあったように、「三体」は所詮三部作における序章に過ぎない。文量においても、「三体」は全シリーズの 1/5 しかないのを強調しておきたい。「三体2」と「三体3」を読んだかどうかは、「三体」という作品に対する評価が大きく変わるだろう。特に友人から評価を聞くと、「三体」には“センス・オブ・ワンダー”が足りないと思われたらしい。ここで、次作のネタバレをしないように、「三体」に充分展開しなかった全シリーズの構図を取り上げ、「三体」の野心と魅力を伝えてみようと思う。

 

1   宇宙文明の関係

 

宇宙文明を考察するにあたって、まず「フェルミパラドックス」のことを考えなければならない。「フェルミパラドックス」というのは、宇宙に無数の恒星が存在し、宇宙の寿命も何百億年に達したにもかかわらず、地球とコンタクトしたり、地球に観測されたりした宇宙文明は今まで一つもなかったという矛盾である。このパラドックスに対して、多くの理論や仮説が提出されたが、人類が宇宙人と出会っていない以上、これらの理論や仮説が全部検証不可能な状態になっている。

しかし、「三体」によって、人類が三体文明という人類以外最初のサンプルを手に入れることが出来、宇宙文明の実態を推察することができるようになった。ここで、まず人類とコンタクトできる宇宙文明の数を推測するために考案されたドレイクの方程式を紹介する。

方程式は以下の通り。

N=Ns × R × fp × ne × fl × fi × fc × L ÷ Lg N=銀河系内で電波で交信する文明を持つ惑星の数Ns=銀河系の恒星の数

R=文明を持つ生命を生み出す条件を満たす恒星の割合

fp=その恒星が惑星系を持つ割合

ne=その惑星系で生命を生む環境がある惑星の数

fl=その惑星上で生命が誕生する確率

fi=生命を持つ惑星の中で知的生命が誕生する割合

fc=知的生命が宇宙に強い電波を出すようになる確率

L=その文明が存続する期間(つまり文明の寿命)

Lg=銀河系の寿命

そしてドレイクが代入した値は

Ns=(観測量)、R=10、fp=0.5、ne=2、fl=1、fi=0.01、fc=0.01、L=10、Lg=(観測量)

その結果、銀河系にコンタクトできそうな文明は 10 個しかないとされた。

しかし、三体人を知ることによって、方程式に代入すべき値が大きく変わるはずだ。例えば、fi と fc、この2つ変数に代入した値は、小さすぎたと考えられる。三体人は無数の災難を乗り越え、三恒星直列で全惑星の生態圏を滅ぶ大断裂のような災難すら乗り越え、20 0回にも及ぶ滅亡の末に、恒星間航行可能な技術をもつほどにまで進化した。ここから、我々は生命が誕生するならば、必ず生命は母星引力圏から脱出できるほど高度な文明を作れると考えるべきである。更に、三体人の母星のある恒星系には3つの恒星が存在しているのににもかかわらず、三体星が恒星系に何十億年も存在し続け、そしてこの惑星に高度な生命が誕生したことから、我々は変数 fp と ne も現実的にはより大きな値であると考えるべきかもしれない。これらの修正を考えると、銀河系に存在している先進文明の数がドレイクの推定よりもはるかに多いはずだ。宇宙は、まさに小説に書いたように「生命に満ちている」のだ。

しかし、このような賑やかな宇宙の中にも、葉文潔と 1379 号監視員とのコンタクトができた前に何も起こらなかった。それはなぜなのか。これについて詳しく解説したのは「三体2」であり、しかも「三体2」の冒頭の 4000 字さえ読めば、絶対感電するほど衝撃を受け、「ああフェルミパラドックスはこう解決されるのか」と納得できるようになると思う。実は、「三体」にも、いくつかそれを示唆する伏線が入れられている。

例えば、紅岸(三)では、中国の宇宙人観測計画では、宇宙人の力を借りて技術跳躍を起こし、世界革命を実現することを意図していたことが明かされる。しかし、第 187 ページでは、「メッセージは、学際的な厳しい審査を経て、天の川銀河における地球の相対座標を明らかにするような情報が一切含まれていないこと確認する……太陽系が正確に特定される可能性を低くする」とある。革命的な宇宙人がセイバートロニアンのように地球にやってきて、圧倒的な軍事力で世界革命を手伝うなら一番楽なのに、どうしてここで敢えて地球の座標を隠すことを強調したのでしょう*10。さらに、地球のメッセージを受けたとたん、三体人が全滅のリスクを負っても宇宙艦隊の出兵をすぐ決めたことから見ると、宇宙はやはり人類が思ったより何倍も危険なところだと推測される。しかも、地球のようなこれほど炭素生命体にとって恵まれた惑星というのは、全銀河から見ても珍しく、人類のような頭がお花畑の文明よりも、三体人のように牙を磨きながら、次の獲物が現れるまでに我慢強く待ち、そして好機が来たらすぐ襲い掛かる貪婪な文明の方が、圧倒的な主流的なのではないか。

「三体」だけの情報に基づいて、我々は宇宙がいかに危険で、“まっくらな”場所であるかを理解することが出来た。それをもっと簡潔にまとめたのが「三体2」の冒頭の 4000 字であり、そしてこのような宇宙に生存している宇宙文明が、どのような関係を人類と築くのか、そして三体人と人類の運命にどのような影響を与えるのかを語ったのが、「三体2」と「三体3」の物語である。

 

2   物理の真実

 

現代物理において礎となっている理論、または信念は、「物理の法則は時空に対して不変性を持つ」ということである。つまり、我々が平成 29 年のある日に筑波で検証した某理論は、平成 29 年のある日の筑波だけじゃなく、空間的に宇宙の果てまでも適用できるし、時間的には宇宙の始まりから終わりまで適用できるのだと考えられている。

理論においても、ニュートン法則が任意の慣性系にとって成立しているし、また電磁気学マクスウェル方程式も、ミンコフスキー時空においてローレンツ変換を行っても成立している。実験においても、場所 A で発見した理論が場所 B で適用できないような、気の狂ったような現象は報告されていない。しかし逆に言うと、「物理の法則は時空に対して不変性を持つ」という信念もまた、実験によって直接検証されるのが明らかに不可能である。

では、もしこの信念に反する実験事実が発見されたら、どうなるだろうか。現代物理が崩れてしまうだけでなく、近代的啓蒙以来の実験に基づく唯物的な、実証主義的な現代理学全体が崩壊するのではないだろうか。

「三体」に智子によって起こられた現象は、まさに先言ったような近代理学全体を破壊する極めて致命的なものなのだ。

しかも、「三体」で示されたのは、所詮三体人という恒星間航行の能力を手にしたばかりの若い文明による理学の破壊である。もし三体人より発展した文明が存在したら、彼らは果たして他の文明の観測をどれほど邪魔できるのだろうか。さらに言えば、観測だけでなく、現象そのものにすら干渉できるとしたら、どうなるだろうか。これらについて詳しく言及したが『三体』シリーズの後の二作だ.。ここまで考えると、「三体」の宇宙はもはやクトゥルフの宇宙のような人間にとって根本的に認識不可能な宇宙であるということが分かる。この真実を誰よりも先に知り、誰よりも深く知った科学者たちは、SAN 値が0になり、自殺でこの恐怖から逃れる以外何もできなかったというわけだ。もちろん、実際の科学者はそれほど過敏ではないと思う。

 

3   現代性の批判と超越

 

ブログに書いた記事「三体と中国現代史」で、僕は「三体の歴史や人間性に対する反省は、もはや一般的な傷痕文学を超えて、もっとユニバーサルな、マクロな領域に進化した」と言った。その最も重要な理由として、葉文潔という人物が、文革を経て共産主義体制に対して絶望しただけじゃなく、エヴァンスや無数の地球三体協会の同志たちと同じように、共産主義にせよ、資本主義にせよ、人類が現代に作り上げたすべての体制や社会に絶望し、人類のありとあらゆる未来の可能性を否定したということを挙げる。

現代性は資本主義の誕生と発展とともに生み出されたものであり、そして資本主義を批判し、超越しようとした共産主義は現代性の極地にあたる。資本主義と共産主義に対する否定は、即ち現代性に対する否定と批判である。この批判と否定は「三体2」と「三体3」でさらに展開され、やがて劉慈欣なりの答えも提示されるにいたった。しかもその答えは極めて独自性の強いものであり、決して虚無の詭弁を繰り返す以外になにもできないポストモダンのようなものではない。

『モダニティとポストモダン文化   カルチュラル・スタディーズ入門』(ジム・マクヴィガン、彩流社)によると、18 世紀の著名なフランス啓蒙学者は以下の 10 つの概念にすべて同意する。すなわち、理性、経験論、科学、普遍性、進歩、個人主義、寛容、自由、人間の本質の同一性、そして世俗主義である。特に、進歩という概念については、「人間の自然的、かつ社会的状況は、科学と理性を適用することにより改善され、その結果、幸福と福祉は永久に向上し続けるという考え」としている。近代の政治家と思想家も確かにそう信じて、そして一般大衆にこう約束した。しかし、現代性には未完成や矛盾なところが存在している。それが何なのか自分はまだ回答できないでいるし、小説でも明らかに示されていない。一応結果からみると、資本主義という現代性の枢軸は、第一次世界大戦から、不況、戦争、ホロコーストファシズム、環境汚染や生態災難の影響で徐々に信頼されなくなった。少なくとも人文学者の間ではそうである。そして現代性の最終形態となるべき共産主義も同じように、粛清、文革官僚主義、余計な審査、計画経済の死、環境災難やソ連の崩壊によって、学者や一般大衆に対する魅力を失い、信じられなくなった。しかも共産主義が活力を喪失した時期と、モダニティが終焉を迎え、ポストモダンの概念が各領域に拡張していく時期とが一致している*。これがポストモダンで言うところの“大きな物語の終焉”といわれるものである。セカイ系ともつながっているらしい。ポストモダンセカイ系ゼロ年代に眠っていてほしい。塩でも撒いておこう。

話を再び小説に戻そう。

劉慈欣はどうして文革から物語からはじめたかったのだ。しかも文革のシーンを一番頭に置きたかったのだ。中国の作家なら、文革のようなデリケートな話題は避けておく方がいいということなんかなろう系レベルの作家すら知っている。しかし、共産主義の理想、即ち現代性の理想が中国において破綻したことを強烈に印象付ける事物は、文革をおいてほかにないのだ。その破壊性は、新左翼の起こした内ゲバと過激な事件による学生や大衆の共産主義離れよりはるかに強かった。葉文潔を人類に対して絶望させるために、これよりいいシーンがあるわけない。だから審査に引っかかっても必ず書かなければならなかったのだ。しかもできる限り冒頭において、読者、特に中国の読者に最大な衝撃を与えなければならなかったのだ。

しかし、ここで注意しておきたいのは、劉慈欣は文革や葉文潔の経歴を通じて、共産主義の理想の破綻を示した一方、エヴァンスや『沈黙の春』(レイチェル・カーソン)を通じて資本主義の理想の破綻も多少なりとも示してくれた、ということだ。ここからさらに踏み込んで、理想的な資本主義的民主政治の限界と、ファシズムという資本主義でも共産主義でもない「第三の道路」と名乗った主義の破滅を、強く、詳しく、示してくれるのが、続編となる後の2作である。

さて、批判の後に、劉慈欣はどのような答えを出したのだろうか。その答えの全体像を知るにはやはり次の2作が必要だが、「三体」にもその答えの一部が提示されている。答えは三体人の社会だと思う。

三体人の社会をよく見てみよう。彼らは人類と違い、過酷な環境で生き残ったにもかかわらず人類が現代に作られた誇りとしたほぼすべての理念と価値観を持たず、そして人類よりも発展し、ついには人類を征服する為に地球までやってきた。三体人は社会から、寛容、自由、人権、個人主義を排除した。三体文明は何とか進歩してきたとはいえ、この地獄のような惑星にいる以上、いつ突然文明が滅んでしまってもおかしくない。したがって、「三体文明に約束された明るい未来があり、我々を止めるものは何もないだろう」と信じる三体人もさぞ相当少ないことだろうと考えられる。

つまり、三体人がこんな様でも人類より発達した文明を作りあげたことは、現代性が我々が思うような誇るべきものではない、文明を存続させ発展させるために絶対必要なものではない、という衝撃的なアイデアを提示してくれた。

さらに、先も言ったように、「三体」の作中における宇宙の全体像は非常に“まっくら”である。このような宇宙で生き残るためには、我々が真理だと信じている現代性・人間性の上に社会を築くよりも、三体人のようにただ生存するということだけに専念する方が効率的かもしれないと劉慈欣は示唆した。

実際に、中国の読者にも薄々このことを感じた人がおり、「劉慈欣には人間性がない」と批判する人も少なくなかった。しかし、ここで再び強調したいのは、劉慈欣は別に自分が書いている内容を認めているわけでもないということだ。仮に自分の書いた内容を認めているとしても、「三体2」と「三体3」で示された現代性を超えた答えはむしろ非常に明るいものであり、人類の可能性と偉大さをよく示してくれたと思う。

ちなみに、中国で評判のいい作家は大体ポストモダンやモダニティと関わっている。例えば2012年のノーベル文学賞を受賞した莫言や、中国SF作家韓松などの例が挙げられる。簡単な社会批判をモダニティ全体に対する批判に発展させることによって、作品の思想性を深められるだけでなく、非常に過激な内容でも審査を通れるようになるのがその理由ではないかと僕が思う。

ということで、「三体」の禁断症状に苦しい方々は、今すぐ英語版、或いは中国語版を注文しよう。絶対後悔することはないと約束します。