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ドラマ「アルカイダ」の感想、或いはアメリカのエゴに対する倦厭

 アップルTV+による新作ドラマ「ファウンデーション」の第一シリーズ全十話が、今日でやっと全て公開されたのだ。今年において最も注目されると言っても過言ではないこのドラマは、タイトルから間違っているのではないか、と僕は観ながらずっと思っていた。「ファウンデーション」ではなく、「アルカイダ」と名付けるべきだ。

 ドラマを通じて、原作と一致するのがせいぜいメインキャラクターの名前、いくつかのどうでもいい設定、そして不相応なタイトルしかないんだと僕が思う。公開当初で読んでいた記事では、製作陣がわかっている上で、わざとご覧のように、大胆的なアプローチを取ったようだ。しかしその結果、作品からアシモフの精神とその具現化が全く感じ取れず、20年代アメリカ特有な焦燥とエゴだけがグタグタとスクリーンから溢れ出すのだ。特に第二話では、9.11をあからさまに再現したテロ事件によって、本作は「アメリカ帝国興亡史」で他ならないことを宣言したのである。そのゆえ、この作品にとっては、「ファウンデーション」ではなく、「アルカイダ」こそ相応しい題名だと思う。

 9.11の攻撃で倒壊したツインタワーがアメリカ帝国の死の始まりを宣言したように、作中の宇宙エレベーターの倒壊もまた、銀河帝国の緩やかな死を告げたのである。死につつある帝国に対して、製作陣は自分のカリフォルニア臭いイデオロギーを劇中の人物に着せて、千億の帝国市民と僻地の蛮族に向かって、多様性だの、和解だの、理性だの、力合わせだのと長々と演説し、これこそ解決策だ!これこそ全人類にとって必要なものだ!と口説いた。

 しかし、普遍的に見えるような価値観に夢中している製作陣が、普遍性の裏にある暴力性に気付いていない。製作陣が抱えてる価値観を批判するつもりはない、それはとってもいいものだとさえ思うのだ。かといって、それを全人類に押し付けるのがどうか、と思わざるを得ない。20年代アメリカ帝国は、他の国々と似たような問題を面しているのが確かである、しかしカリフォニア的な価値観による処方箋が、どこでも通用する、或いはどこにも必要とされているという保証がない、ましてや似たような問題と言っても、各地域において、その優先順位が一致すると限らない。

 政治と文化の批判はここまでにしたい。真の問題は製作陣のエゴ、アメリカのエゴである。製作陣が、「ファウンデーション」という世界的に読まれている作品の名を借りることで、そしてネット配信という世界的な形式を取ることで、たかがアメリカ的な問題と焦燥と、カリフォルニア的な価値観と想像力を、普遍的なものと化しようとしてるのだ。製作陣はまるでキャバ嬢を説教してるおじさんのように、自分のエゴ、アメリカのエゴを他人に押し付けようとしてる。幸い、視聴者の僕らはキャバ嬢と違って、アップルTVを閉じるという選択肢を持っている。この自分のエゴを他人に押し付けることの暴力性を気付いていない製作陣は、果たして大帝のエゴを正しく批判すること、そして真の多様性を語ることができるのでしょうか。

 いずれにせよ、僕はもうアメリカのエゴの上に成り立つ言説にうんざりしてしまった。普遍的な物語にアメリカの特殊性を持ち込むのが構いませんが、このような行為が何の意味、そしてどのような暴力性を持つのかを、アメリカの創作者に意識していただきたい。