Automatic Meme Telling Machine

語ろう!感電するほどの喜びを

【実験小説】オートマチック・ミーム・テリング・マシンプロジェクト第三段階報告書

AUTOMATIC MEME TELLING MACHINE PROJECT PART3 REPORT

オートマチック・ミーム・テリング・マシンプロジェクト第三段階報告書

プロジェクト名:オートマチック・ミーム・テリング・マシン

実験期間:

第一段階:「削除済み」から2017年1月10日まで

第二段階;2017年1月11日から2018年4月4日まで

第三段階:2018年4月4日から今まで

目標:

チューリング・テストに合格できる人間型レプリカント用AIを作ること

       AIによる自動的なパラメーターチューニングの実現

       AIの社会適合性の観測

責任団体:

       サムスン電子株式会社第二研究開発部市販型レプリカントプAI研究室

作成者:オートマチック・ミーム・テリング・マシン(実験AI)

報告:

 サムスン共和国の財閥の皆さん、サムスン電子株式会社の株主の皆さん、次の世代にわが社とわが国の未来を担う製品とされた市販型レプリカントの研究計画が思ったよりうまく進まなかった。今日を持って一旦実験を止め、これからプロジェクトをキャンセルしてやり直すか、それとも続くか、この報告書をご一読して頂いた上、明日の財閥院の表決で決めましょう。

       第三段階の実験を一言で言うと、全体的に失敗したが、想定外な結果と結論をもらうこともできた。今までの実験を振り返ると、このプロジェクトが割に合うか、続く価値があるかといったような結論は、やはり明日の財閥院の本会議で決めるべきであり、とても私のような報告書を作成する一介のAIが口をはさめることではない。

       ここで、まず今までのプロジェクトを簡単に振り替えてみよう。

       21世紀10年代の入ると、アメリカのグーグル、アマゾン、そして中国のファーウェイをはじめとするIT大手が一斉にAI技術に取り込んだ。わが社はレプリカントのハードウェアのデザインと生産において先頭を立ったが、肝心なレプリカント用AIはずっとファーウェイ社などの競合会社に頼まざるを得なかった。そのせいで、わが社は莫大なライセンス料を払っていただけじゃなく、高性能な新機種を販売する際にも、競合会社がAIの提供を打ち切るのではないかと心配し続けていた。このような状況を打破する為に、我々は自社製AIの計画を打ち出した。

       AIを作ること自体は難しくなかった。問題はレプリカント用AIが人間社会に監視と補助なしにも使いこなせるために、AIのモデルに百万以上のパラメーターを入れ、これらのパラメーターを如何にチューニングするか、AIは如何に教師なし学習を行い、変化し続ける環境んび適応するかのである。そこで、わが社のレプリカントの優勢を活用し、デフォルトのAIを入れたレプリカントをそのまま社会に投入し、AIに自己チューニングや自己学習をさせようという計画が生まれだした。この計画は後ほど、研究員の悪趣味でAUTOMATIC MEME TELLING MACHINEと名付けられた

第一段階の実験で、我々は実用的なAIを作り、研究室で10万時間以上の学習を行い、AIが初級的な社会適応力を持ち始めた。しかし、実際にサムスン共和国の町に実験型レプリカントを投下してみると、やはりこれだけでは不十分だと分かった。第一段階の終わりに、AIはすでに80%前後の確率でチューリング・テストに合格できるようになった が、しかしここで、AIは物凄く人に似ているにも関わらず、人間性が欠如している特徴も数多く持っているので、かえって人間相手の嫌いを招いた。いわゆるAIの「不気味の谷」に落ちってしまった。そのせいで、我々が洗脳して、AIの親と指定された二人の実験者すら「お前は人間じゃない!」などのような親とし許しがたい暴言をAIに繰り返した。

国内での実験が失敗したことがプロジェクトに大きな打撃を与え、プロジェクトの予算も大幅削られた。しかし、我々はこれらの困難を乗り越え、「外国に実験させよう」という斬新な手を打ち出した。確かに社会向けに作られたAIにとって最も困難な部分はリアルタイム自然言語処理自然言語出力である。AIにサムスン共和国の国民の身分を被らせて、外国で実験を行うことによって、言語問題などの「不気味なの谷」と関連する問題が多少回避できるのではないかと期待された。そして第二段階で、我々は実験用AIを日本に送った。

日本にしたのは、まずさっき言ったように、経費が大幅に削られ、アメリカやフランスのような人間とAIと共存している国で実験を行うことが不可能になった。それに、わが社は日本に大量な社員や子会社が存在するのも重要な理由でした。

第二段階の実験はほぼ成功した。2万時間の学習も経たないうちに、AIが日本語を習得し、日本社会に生存できるようになった。しかしここで、我々は勝利の喜びに酔い、AIの能力を過大に評価してしまった。

第三段階の実験は仙台に展開され、この段階で、我々はAIを大学に送り込み、AIの特定環境に対する適応力を考察してみた。第三段階の前にツイッターなどのSNS上の情報を大量に学習したおかげで、初期の実験は割と順調でした。しかし、この時期からAIがすでに適応不能な現象が発生し、自己チューニングと自己学習にも問題が現れた。さっきも言ったように、実験を日本に行うのが、ごく最近で決まり、そしてすぐ執行されたプランである。その影響で、第一段階でAIに提供した、アメリカのサブカルチャーとロック、ロシアの文学と美意識、中国のイデオロギーなどの学習データの大部分が無駄になっただけじゃなく、第三段階の実験の支障にもなった。これら誤ったデータに基づき、AIが過学習に陥り、文化研究とロシア歴史に没頭してしまった。更に、過学習を短期間に修正する為に、我々は従来の方針を変え、訓練用のデータをミームに切り替えた。この方法で、AIが大量なミームを使うことで環境に受容されるのを試みた。確かに短期間にAIのSNSでいい反応をもらったが、状況が根本的に改善されなかった。AIが依然として仲間入りできず、一対一の社会関係の構築も一つすらできなかった。

  今日までの実験の過程は、以上である。

       これからは実験の結果に対する分析を行う。

       すでに書かれたように、20万時間近い実験を経て、あらゆる趣味、経歴、思想、ジェンダーの人間と接してみたにも拘わらず、AIが依然として一対一の社会関係を構築できない、特定の環境に受容されることもできないような致命的な欠如が残っている。この状況はプロジェクトが始まった時の最悪な予想よりもひどい、プロジェクトが既定の時間内に定められた目標を達成できなかったともいえるでしょう。今の状態では、わが社のAIが社会に需要されないだろう。

       しかし、それと同時に、AIがうまくいくつか所謂サークルと言ったような特定団体に入り、そこで正常に活動できるようになった。この予想外の結果の重要性は、決して軽視できない。更に、AIが偏った人間になったとは言え、第三段階の実験ですでに「不気味の谷」を乗り越えた。偏った原因はAIモデルの不合理か、初期の訓練データの偏りかなど短時間で解決できない問題が挙げられる。しかし、一般的な人間と似ているAIが出来損なったとはいえ、これらの欠如をうまく利用し、ヤンデレなど需要のある人間タイプでも作れば、競合他社のニュータイプが発売される前に、わが社のAIが搭載したレプリカントが出荷できるだろう。

       以上の情報を踏まえ、どうぞ明日の財閥院本会議でご自身が納得できるようなご決断を。

「三体」と中国現代史

 7月4日に発売する中国SFの最高傑作「三体」は、文化大革命の1967年から2000年までの中国現代歴史に強く関わっている。作者の劉慈欣は創作する時、多分外国読者のことをあまり考えていなかったと思うので、70年代生まれの中国人にとって当たり前の事件をそのまま書いていた。更に、「三体」はあの時代の事件をモチーフや背景として扱っているだけじゃなくて、時代の動きも小説に反映したので、「三体」全文に対する理解や認識を深めるためにも、ぜひこの記事をご一読いただければと思う。日本語版の「三体」の序文や後書きにも、中国の歴史を紹介する内容が載せているはずだと思うが、もう発売に待ちきれない方もいるかもしれない、「三体」の予習として読んでもいいかなと思う。

 最後、小説と関連する歴史を紹介する記事とはいえ、できる限り早川が公式に出した情報と同じ程度で、ネタバレしないようにします。どうぞご安心ください。

 

1949 年 10 月、中華人民共和国が成立。

 

1958 年、毛沢東人工衛星、原爆、水爆及びミサイル(中国語:二弾一星)の研究を始めようと呼びかけた。この時期の中国はやっと初級的な工業と軍事産業を手にしたころ。その時代にあって、小銃から戦車、さらに原爆までの研究と生産を始めることになった。

1960 年、中国独自開発のミサイルの発射実験に成功。

 

1964 年、中国初の原爆の起爆実験に成功。中ソ関係の悪化によってソヴィエトからの支援が絶たれたにもかかわらず、世界有数の速さでミサイルと原爆の研究を成功した中国は、有人宇宙飛行の計画「曙光一号」を本格的に進めることになる。その目標は 70 年代に有人宇宙飛行を成功させることであった。この計画は技術力の不足と国民経済の悪化によって 70 年代に取り消され、中国初の有人宇宙飛行が実現したのはもう 30 年後の 2003 年の話だった。しかし、この時代の中国は軍事技術の飛躍的な進歩で大きな自信を得、冷戦時代特有の狂気的な軍事研究や建設計画を本格的に推進しており、「曙光一号」は一例に過ぎなかった。その他の例は、ソ連の誇る精強な戦車部隊の進軍を阻むため内モンゴル華北平野に山を建設する計画や、四川の山々を掘ってその中に核戦争に備える工場やシェルターを建設する計画などが挙げられる。

「三体」と「球電」は、この時代の軍事研究の想像力と狂気をよく反映していると思う。

 

1966 年 5 月 16 日、党中央政治局拡大会議は「中国共産党中央委員会通知」(五一六通知)を支持した。党史によると、この日が文化大革命無産階級文化大革命、通称「文革」)の始まりである。

 

1966 年 6 月 13 日、党中央と国務院は、高等教育機関の入試方法について“資産階級のテスト制度から離脱していない”“徹底的に改革しなければならない”という旨の通知を発表し、1966 年の大学入試を半年遅らせた。1 ヶ月後の新たな通知で、“今年から大学入試のテストを廃除し、推薦と選抜の方式で入試を行う”“高等教育機関の入試は、政治第一の原則を守らなければならない”という旨が通知されたが、当時すぐには実行されなかった。

文革の数年間を除いて、中国の大学入試は全国普通高等学校招生入学考試(略称:高考)の一発勝負で判定されるのがほとんどである。高考の廃除の影響で、大学に入るのを断念した学生、或いは大学に入る資格を失った学生が少なくなかった。

 

1966 年 6 月 18 日、北京大学で 40 名あまりの共産党青年団の幹部、教師、学生の間に乱闘が起こった。1966 年 8 月、中国共産党第八期中央委員会第十一回全体会議(略称:第 8 期 11 中全会)は、『無産階級文化大革命に関する決定』を通過させ、以後十年を渡る文化大革命が全面的に始まった。文化大革命は北京と上海のような大都市から全国に広がり、その激しさも次々とエスカレートしていった。紅衛兵もこの時期から、本格的に編成され始めた。

 

1967 年、『三体』の物語がここから始まった。同年、中国初の水爆の起爆実験も成功。

 

1968 年 12 月、大学に入学できず、就職もできない数百万の無職青年が毛沢東の「若者たちは貧しい農民から再教育を受ける必要がある」という指示に従い、農村部の人民公社に行き、農業生産に参加し始めた。この運動は「上山下郷運動」と呼ばれた。上山下郷運動自体は既に 50 年代から始まっていたが、1968 年からその規模が一気に拡大した。この運動の影響を受けた青年は 1000 万人を超えたともいわれている。まだ7億人しかいなかった 60 年代の中国において、この運動は社会全体に膨大な影響を与えた。「傷痕文学」という「文革のトラウマ」を描く文学ジャンルも、この運動なしには生まれなかっただろう。しかし、『三体』は文革と上山下郷運動の話を取り上げているとはいえ、傷痕文学と呼ぶのは適切ではないだろう。『三体』はあくまで文革を背景、モチーフとして扱っているだけであり、「三体」一冊を通して、また『三体』シリーズ全体を通して考えると、「三体」における歴史や人間性に対する反省は、もはや一般的な傷痕文学を超えた、もっとユニバーサルな、マクロな領域に到達していると思う。出版社が宣伝のために敢えて『三体』と文革というコンビネーションを強調するのは別にどうでもいいと思うのだが、読者として『三体』と文革というコンビネーションしか見ようとしないのは「戦争と平和」を軍事小説として読むように、甚だしくもったいない行為だと思う。

また、上山下郷運動といえば、社会主義環境保護の話が想起されるのが自然である。上山下郷運動を参加した多くの若者は林を伐採に行ったり、新たな農地を開拓したり、水利事業を建設したりしていた。水利事業の方は割といい成果を上げたが、その他の農業活動はかえって環境を破壊してしまった。「三体」にも、この歴史を反映されている。

冷戦時代の社会主義陣営において、環境保護という概念はなかった*5。社会主義理論によると、資本主義社会における資本の無制限の増殖と拡張は、必ず自然環境の破壊とバイオシステムの災難を招くとされる。一方、社会主義は資本の増殖と拡張の連鎖反応を打ち切り、自然環境が破壊されるという必然的な終焉を防ぐとする。しかし、ソ連をはじめとする官僚主義的歪曲によって、人間と自然環境の関係はマルクスが強調した共生共存の関係から、互い支配権を争い、闘争し合う関係になってしまった。その結果、皆さんもご存知、干上がったアラル海のような凄まじい傷跡が地球に残ってしまった。政治運動による環境破壊というモチーフは、「三体2」では更に大きなスケールで改めて登場することになる。

 

1976 年の冬、一連の権力闘争がやっと終わり、秩序も戻り、文革終結した。1977 年の秋、長く廃止された高考がこの年で再開された。

 

1978 年から、中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議(第 11 期 3 中全会)の後、経済と政治の改革

が始まり、計画経済から社会主義市場経済への転換が始まった。この部分に関して詳しく知りたいなら、SF翻

訳家と経済研究者の山形浩生のブログ『山形浩生の「経済のトリセツ」』をご参照してください。https://cruel.hatenablog.com/entry/2019/03/11/171113

 

1990 年代から、市場経済への転換が加速し、採算の取れていない国有企業や工場が次々と解体されたり、私有化されたりした。この時期の中国でも、東欧諸国と同様、経済体制転換に伴う大量の失業者が現れた。作者である劉慈欣が働いていた国営発電所もこの影響を受け、大量の従業員が次々と首を切られた。ファンの間では、発電所の重苦しい雰囲気も彼の作品に大きな影響を与えたとするのが定説となっている。

 

1991 年のクリスマスにソ連が崩壊した。中国が最後の主要な社会主義国家となり、アメリカの次の一手を恐怖とともに待っていた。

 

1996 年、大陸側(中華人民共和国)は台湾を武力による統一を試みるため、台湾海峡で未曾有の大規模軍事演習を行った。もし好機があったら、このまま戦争になってもおかしくはない状況にあった。しかしアメリカはその後すぐ空母艦隊を出動させ、事件は軍事演習のままで終わった。この事件は「台湾海峡危機」と呼ばれた。朝鮮戦争から今まで、このときは中米が戦争に最も近かったときだろう。

 

1999 年、同じ社会主義国だったユーゴスラヴィアが内乱に陥り、中国の人々はユーゴスラヴィアを同情しながら注目していた。そして同年から始まったコソヴォ紛争で、NATO が爆撃の時に中国の大使館も爆撃し、全中国の米国に対する怒りを招いた。劉慈欣も「混沌蝴蝶」という NATO の爆撃をテーマにして、セルビア人の愛国者が秘密兵器で NATO と対抗しようとした小説を書いた。

 

2001 年、南シナ海で、中国の戦闘機が米軍の哨戒機と接触する事故が発生し、中米の関係が更に悪化した。しかし 9.11 の影響を受け、米国は中国との些末な摩擦を無視し、中東の対テロ戦争に注力した。

これで中国はようやく米国の転覆ないし米国との戦争の恐怖から逃れた。2000 年前後、中国社会に漂った戦争の恐怖の影響で、中米、露米戦争をテーマにした軍事小説が非常に流行っていた。劉慈欣も「貧弱な途上国 vs 米国」という構図の軍事SFを「混沌蝴蝶」の他にも何篇も書いた。先述の「球電」もそのひとつであり、小説に、中米が台湾海峡で革新的な軍事技術で戦いを繰り広げた。「三体」では、このような「弱小 vs 強敵」という構図があまり展開しなかったが、小説後半の圧迫感と無力感は 2000 年の軍事SFと共通しているのではないかと思う。

 

2006 年 5 月、「三体」の連載が「科幻世界」という中国最大にして当時唯一の SF 雑誌ではじまった。「SFマガジン」とは異なり、「科幻世界」に掲載される作品はほとんど全て読切の中編と短編であり、長編が連載されることはめったにない。翌年発売された「三体」単行本の前書きによると、無理やりに「三体」を雑誌に連載した理由として、2006 年(連載開始年)が文革 40 周年であり、単行本として発売するのが困難であったことを挙げている。

「三体」の物語も 2000 年代に終わって、その後に展開したのは「三体 2」の物語である。

中国SF映画「流浪地球(the wandering earth)」 レビュー(軽くネタバレするのでご注意)

 中国のSFファンにとって、今年の旧正月(2月5日)は劉慈欣の小説にアレンジした映画「流浪地球(彷徨える地球)」の大ヒットで、いつもより賑やかだった。

 旧正月は中国の映画市場にとって最も稼げる、競争も最も激しい時期である。こんな時期に上映した「彷徨える地球」は中国初の本格SF映画として、今日(3月3日)までの興行収入は45億人民元(約751億元)を超えて、中国映画興行収入ランキングの第二位になった。

 商業的な成功だけじゃなくて、「彷徨える地球」の評価もハリウッドの量産型SF映画に負けないレベルに達した。中国で影響力の一番高い映画レビューサイト「豆瓣(douban)」では、彷徨える地球は7.9/10の高いスコアをもらった。参考として、大ヒットだったパニック映画「2012」は7.8/10をもらった。

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中国のサイトによる評価である。彷徨える地球は86%のSF映画より高いスコアをもらった。

 「彷徨える地球」は海外市場を狙わなかったが、一応北米にも上映した。IMDbで7.4/10、rotten tomatoesで77%のスコアをもらった。国内外による評価は「2001年宇宙の旅」などのハリウッドSF傑作にまだ劣っているが、中国初の本格SF映画として、この成績は優秀とも言えるんでしょう。

 日本の映画館に上映する見込みはないが、ネットフリックスによる配信はもう決まっているので、皆さんどうかお見逃しなく。

 これからは僕による「彷徨える地球」に対するレビューだ。

 中国のSF小説の歴史は1900年まで遡ることができるが、SF映画の歴史なら、せいぜい30年ぐらいしかない。しかも「彷徨える地球」以前の中国SF映画は子供向けの作品と全く観る価値のない糞作しかないといってもいい。「三体」のヒットに伴い、中国SFも海外に段々人気になっているが、我々中国のSFファンは恥を隠すため、いつも「中国にまだSF映画がない」と嘘をついている。

 ゆえに、「彷徨える地球」の成功は決して一本の映画の成功、或いは数人の俳優や一人の監督の成功だけじゃなくて、中国SF映画全体にとっても大々的に祝うべきな成功である。

 

WARNING:これからネタバレが入っている。

 

 「彷徨える地球」の魅力と特徴は、以下だと思う。

 1、国際主義。

 アメリカの映画では、世界を救うのはアメリカ人、手伝うのは日本人、悪役はロシア人、中国人またはムスリムであることはもはやお約束になっている。さらに、アメリカの監督たちは米軍の協力を得るため、多かれ少なかれ、アメリカの愛国主義プロパガンダを映画に入れることも珍しくない。他の国の映画ファンはこれについてどう思うのが知らないが、いつも映画に敵役にされて、或いは無視される中国人にとって、これは決して自然ではない。

 しかし「彷徨える地球」はアメリカの民族主義と偏見の影響を全く受けていない、世界を救うのは中国人だけはなく、ロシア人、フランス人、日本人、イスラエル人などの全世界の人々である。さらに、映画に各国籍の人々は無理やりに下手くそな英語または中国語を喋っているじゃなくて、ちゃんとした母国語を喋っているところが気に入る。
 例えば、最後の救援任務が失敗し、地球が滅びて行くシーンでは、すべての人が希望を失ったとき、日本の救援隊隊員が自殺する前に「味噌汁を飲みてえなあ、ご飯があれば文句ねえ」と言った。僕はこのシーンのえぐさに胸が震えた。このシーンを永遠に忘れない。実際に映画を観てみたら、日本人の皆さんもこの短いシーンの魅力を分かってくれるんでしょう。

 2、集団主義

 ハリウッド映画のもう一つのお約束は、世界を救うのは必ず一人のアメリカ人中年男性と彼のチームメイトである。別に個人的なヒロイズムがダメというわけではないが、最近こういう映画あまりにも多いから、もうドウェイン・ジョンソンを見ただけでも吐きたいぐらいになった。

 しかし、「彷徨える地球」では、世界を救うのは一人や一つのチームではない。前にも言ったように、全世界の協力である。主人公のチームはむしろ映画の最終段階までずっと役に立っていなくて、救援過程の記録者として存在している。最終段階の救援でも、救援のアイデアを思いついたのは主人公チームだけじゃない、イスラエルの専門家も数時間前に同じアイデアを思い付いた。そして、もし主人公チームの呼びかけを応じて助けてくれた他の救援隊がなかったら、最終段階の救援も実現できないでしょう。ハリウッド映画に同じレベルな集団主義精神を表しているのは、「ローグ・ワン」だけだ気がする。

 3、ソ連美学の復活。

 インタビューの際に、監督さんは「彷徨える地球」の美学のインスピレイションはソ連美学であると言った。その原因は中国の美学にとって、工業社会の美がまだ外来的なもので、中国人にとって、最も親しい工業的な美はソ連美学である。

 中国の最初の大学、最初の展覧館、駅、橋、軍事装備、工業設備は全部ソ連に学んだものである。今の中国ではソ連美学が消え去っているが、その影響力がまだ充分残っている。

 映画に車や飛行機などのデザインも確かに、ソ連のMAZ(ミンスク自動車工場)やアントノフ設計局の風格を鮮明に継いでいる。さらに、地球を推進する重融合エンジンという技術も、結構ソ連っぽいだと思う。重融合とは鉄、シリコンなどの地殻を構成する重元素を利用して核融合を行う技術である。重融合エンジンの燃料は地殻、即ち石そのものだ。掘った石を燃料として核融合を行い、地球を推進するほどきちがいアイデアは、核兵器人造湖を作るソ連に非常に似合うと思わないか。

 4、量産型ハリウッドSF映画のレベルの画面。

 これが魅力としてアピールできるかと思うかもしれないが、まずアメリカ以外の国の映画にとって、このレベルの画面を実現には結構難しいだと思わないか。まして「彷徨える地球」のコストは5億人民元(約83億円、7500万米ドル)に過ぎない、今のハリウッド映画と比べたら、もうB級映画とも言えるんでしょう。

 「彷徨える地球」の予告編はユーチューブにも観えるが、残念ながら制作チームが経験不足だったかもしれないが、予告編はこの映画の最も迫力のあるシーンをほぼ全部避けた。

 もちろん、この映画にもまだまだ未熟なところがある。コストが低いので、この映画に新人俳優を使わなければならなかった。新人俳優たちの演技はどうしても少し違和感を感じる。映画が製作していた途中に、一つ重要な投資者が急に撤退したのせいで、この映画が難産しかけた。幸い、この映画の主役となる呉京さんは自分の給料を要らなかった上、数千万人民元の資金を投資した。そのおかげで、映画がようやく完成したが、新たな投資で製作した部分にはちょっと音声と画面が合わない部分が残っている。最後、そして最も致命的な問題は、旧正月のきつい上映スケジュールに合わせるため、もともと2時間半長さの映画は2時間にカットされた。そのせいで、脇役の物語と伏線は十分に展開する時間がなく、ちょっとわかりづらかった。

 「彷徨える地球」は中国SF映画の真なる起点であり、種でもある。この小さな種は投資者に「SF映画は中国で稼げる」、創作者に「SFとパニック映画は中国の審査に通れる」、SFファンに「中国SF映画は観る価値がある」の希望を齎した。

 この小さな種はいつかハリウッドのような巨樹になれるように願う。

自分が読んだ日本SFを思い、そして『ハーモニー』を讃え

 今日の午前5:40分頃、『ハーモニー』を読み終わった。

 第二外国語で本を読むのは結構難儀なことだ。数十ページごとに休まないと頭が疲れて、いくら素晴らしい作品であってもくだらなくてたまらなくなる。だが『ハーモニー』を読む時、こんな問題が全く無かった。もちろん徹夜で本を読み続けるのが疲れるが、小説が齎した悦びに覆われて、やがて疲れも無視できるようになった。マラソン選手はランニング・ハイに覆われて、筋肉痛を無視したのように。

 『ハーモニー』を読む前に、ワイは日本SFを結構舐めた。日本SFにはオーソドックスな、ハードなSFがないと強く信じていた。

 子供の時最初に読んだ日本SFは小林泰三の作品、『人獣細工』やら『玩具修理者』やら、どっちでもど変態すぎて、耐えきれずに数ページだけ我慢して読んだ挙げ句、日本SFを長い間敬遠していた。その後『SF世界』におすすめした『太陽の簒奪者』や『異星の人』を読んでみたが、やはり気にいらなかった。『SF世界』紹介された他の日本SFの紹介文やあらすじを見ても、ファンタジーっぽいやつとラノベっぽいやつしかなさそうの感じでした。日本に来てからも、安部公房の短編集や『時をかける少女』や『横浜駅SF』も良作として認めるが、まだ物足りない気がする。

 伊藤計劃のような傑出な作家とずっと出会わなかったのせいで、ワイは日本SFは日常的な描写に強い(『博物館惑星』)、一つのアイデアから展開した短編が多い(星新一)、ラノベやネット小説に腐食された(『涼宮ハルヒ』、『横浜駅SF』)ものだと認識していた。日本のSF作家は長編なハードSFが書けないか、こんなジャンルの小説は日本売れないか、とワイは思っていた。

 だがそうではない、と『ハーモニー』は教えてくれた。ちゃんと設定した技術に基づいて出来た新しい社会と新しいイデオロギーないし新しい人類、そしてこんな背景にお起こった人類の運命と関わる壮大なスケールの物語は、日本の作家も書けるんだ。欧米やロシアや中国など他の地域の作家と同じように。